作業日誌

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No.35

Twitterをながめながら思ったこと。
予期せず情報が見えすぎてしまう状況との距離の取り方が難しいです。嫌なら見るなといっても、どうにかならないので。

さっきあることの被害にあった人の連ツイが目に入りました。Twitterがあるからこそ今までは表に出なかったことが言えるようになった。それはいい側面です。

一方で、なんでもかんでも知らなければならないわけではなくて(受け取る側は)。このことは私は知らなくてもいいことだったな、ということまで見えてしまいます。そのコントロールが自分自身ではできないようなシステムになってしまったからこそ疲弊します。

(こういうことの例は、飼っているペットの話でもあります。その猫や犬のことをフォローしていたわけではないのに、どこかに暮らしていたペットたちの闘病記や疲弊する飼い主のエピソードが流れてきます。またなくなった報告なども。)

とはいえ、こう思っているということは書けないです。私のこのつぶやきが、なにか切実に訴えたい人の目にたまたま入ってしまったら?と思うとそれは本意ではないですし。
なにか思っても「うかつに書けないな」という抑止力が自分の中で自動的に働くようになってしんどいです。だからTwitterは投稿用としては使わなくなりました。

自分も揺さぶられたりあてられたりしてしまうからだと思います。自分に起こったことではないのに、その思いが過剰に自分に流れてきて影響されたりします。

なので、時にはここに書いてバランスをとろうと思います。畳む


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